上記の画像は、ウチの冷蔵庫のホワイトボード。
描かれているのは初代の猫、故ロンタ大王。
2017年の春分を過ぎて、
なんだか命全般への愛おしさが、
増してきた今日この頃です。
このブログは、潜在意識から、人生と現実を変える。
起業家のお金と人間関係 書き換えコンサルタント
江藤恭子として、
私のしているお仕事について書いておりますが、
そもそも現在の仕事をするにあたって、
そうなった経緯は、
まさに「猫とお客様から教わった」ことがすべてです。
仕事があってお客様がいたのではなく、
お客様がいたから、仕事になったのです。
そして現在の猫たちと出会わなければ、
私は自営で仕事をしようなんて、
間違っても思わなかったことでしょう。
そもそも、私は、
主婦という仕事は好きではないが、
専業主婦は大好きという人ですから。
今回は猫以前の動物たちについて書きます。
猫から教わる前に、様々な生き物から、
いろんなこと受け取った気がしていますから。
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もう1匹には弟の名前が書かれていましたっけ。
安易なペットではありましたが、
新鮮な雑草を摘んで、
与えるようにと言われたのは、
幼稚園時代だろうと思います。
よく覚えていませんが、
多分そのうち、
母がまた庭に逃がしたのだろうと思います。
(足じゃないけど)やら、
生き物というものをよーく観察した、
初期だったように思います。
よくわかりませんけれど…。
強いトラウマのあった人で、
(いつか書けたら書きますが)
ヒヨコにやはり死なれて、
ショックを受けた人でしたが、
(ヒヨコ運が無い人だった…)
責任を持って生き物を飼うことについて、
きちんと教えたかったのではないかと思います。
私が生まれる前には、
伝書鳩がいたらしいのですが、
その従業員が飼っていた、十姉妹たち。
いつも仲良く身を寄せては、
玄関におりました。
私にとって当たり前なものでした。
石亀(現在は希少種の)も、
凄くなついて可愛かった。
陸亀ではなくとも。
走ります。
5歳児にして学んだ私。
次の亀の担任になった教諭が世話をしなかったため、
水槽の中でひどい状態で亡くなるという、最後でした…。
と母が言ったものです。
パンくずを食べたオタマジャクシは、
やがて手が出て足が出て、
あんなたくさんのカエルをどうやって養ったものか?
ハエを捕獲したとしても、
養い切れなかったことでしょう。
見上げた人でした。
ハエたたき片手に授業をしながら、
ハエを捕獲しては、
ちゃんとトノサマガエルを飼育していたのですから。
嫌がりもせず、
割りばしでつかんだハエのご遺体を、
トノサマガエルがぱくりと舌で捕まえるのを、
リアルに見せてくれたものです。
この後も、アゲハチョウの幼虫、
ザリガニ、カブトムシ、クワガタ、鈴虫、コオロギ、
金魚、ドジョウ、フナ、メダカ、
6歳から17歳まで一緒だった白文鳥、
OL時代に預かっていた超おしゃべりセキセイインコ、
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最後まで読んでくださって、
ありがとうございます。
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