【人生で大切なことはすべて、猫とお客様から教わった。】~いまの私を創るものたち、その①

 

上記の画像は、ウチの冷蔵庫のホワイトボード。

描かれているのは初代の猫、故ロンタ大王。

 

2017年の春分を過ぎて、

なんだか命全般への愛おしさが、

増してきた今日この頃です。

 

このブログは、潜在意識から、人生と現実を変える。

起業家のお金と人間関係 書き換えコンサルタント

江藤恭子として、

私のしているお仕事について書いておりますが、

 

そもそも現在の仕事をするにあたって、

そうなった経緯は、

まさに「猫とお客様から教わった」ことがすべてです。

 

仕事があってお客様がいたのではなく、

お客様がいたから、仕事になったのです。

 

そして現在の猫たちと出会わなければ、

私は自営で仕事をしようなんて、

間違っても思わなかったことでしょう。

 

そもそも、私は、

主婦という仕事は好きではないが、

専業主婦は大好きという人ですから。

今回は猫以前の動物たちについて書きます。

 

猫から教わる前に、様々な生き物から、

いろんなこと受け取った気がしていますから。

 

*******

 

最初のペット?は母が与えたカタツムリでした。

渦巻の殻に、私の名前と、

もう1匹には弟の名前が書かれていましたっけ。

 

庭にいくらでもいた、

安易なペットではありましたが、

 

毎日、飼っている虫かごをきれいにして、

新鮮な雑草を摘んで、

与えるようにと言われたのは、

幼稚園時代だろうと思います。

 

あのカタツムリがどうなったのか?

よく覚えていませんが、

多分そのうち、

母がまた庭に逃がしたのだろうと思います。

 

あの、にょろにょろと波打って動く足元?

(足じゃないけど)やら、

目や角の動き、全体の質感など、

生き物というものをよーく観察した、

初期だったように思います。

 

何故、母がカタツムリを与えたのか?

よくわかりませんけれど…。

 

 

母は子供の頃、夜店で買ったヒヨコに、

強いトラウマのあった人で、

(いつか書けたら書きますが)

 

そして晩年も、父が残したニワトリの子であった、

ヒヨコにやはり死なれて、

ショックを受けた人でしたが、

(ヒヨコ運が無い人だった…)

 

故に命の大切さや、

責任を持って生き物を飼うことについて、

きちんと教えたかったのではないかと思います。

 

その前にも自宅に生き物はいました。

 

住み込みの従業員が動物好きで、

私が生まれる前には、

伝書鳩がいたらしいのですが、

(鳩の仲間がどんどん集まって大変だったらしい)

 

私の記憶にある最初の小鳥は、

その従業員が飼っていた、十姉妹たち。

 

地味で、手乗りのように懐きはしませんが、

いつも仲良く身を寄せては、

玄関におりました。

 

小鳥の愛らしさは格別です。

 

よって、玄関の下駄箱の上に、

小鳥がいる風景は、

私にとって当たり前なものでした。

 

単発的に、幼稚園から夏休みに預かった、

石亀(現在は希少種の)も、

凄くなついて可愛かった。

 

…亀は懐きます。

陸亀ではなくとも。

 

あと、実は、歩くのも早いです。

走ります。

 

「うさぎと亀」はかなり脚色入ってる、と

5歳児にして学んだ私。

 

ああ、またエビの尻尾を亀に食べさせたい…;;

 

 

この亀は可哀想なことに、夏休みが終わり、

幼稚園に返して翌年の春から、

次の亀の担任になった教諭が世話をしなかったため、

水槽の中でひどい状態で亡くなるという、最後でした…。

 

いまだったらいろんな意味で問題になるかと思いますが、

なんで、幼稚園のペットにそんなことできるんだか…。

 

「あのままウチで引き取って飼っていたら…」

と母が言ったものです。

 

*******

 

私が育ったのは新興住宅地で、

まだまだ空地も多かった。

 

空き地でカエルの卵を見つけると、

一躍、ヒーローでした。

 

ちゃんと世話をしてくれる母のお蔭で、

パンくずを食べたオタマジャクシは、

やがて手が出て足が出て、

あっという間にどのカエルも脱走を図るのですが、

当時はそれが残念でなりませんでした。

 

しかし、脱走してくれなかったら、

あんなたくさんのカエルをどうやって養ったものか?

 

一日中、ハエたたきを持ち歩き、

ハエを捕獲したとしても、

養い切れなかったことでしょう。

 

*******

 

しかし、私の担任だった幼稚園教諭は、

見上げた人でした。

 

教室で飼っていたトノサマガエルを、

ハエたたき片手に授業をしながら、

ハエを捕獲しては、

ちゃんとトノサマガエルを飼育していたのですから。

 

当時、彼女は24歳くらいだったと思いますが、

嫌がりもせず、

割りばしでつかんだハエのご遺体を、

 

「ぶ~ん~」と口で言いつつ、

 

水槽の中のカエルの目の前で飛ばしては、

トノサマガエルがぱくりと舌で捕まえるのを、

リアルに見せてくれたものです。

 

こういうことを動画ではなく、

実際に見ることは、子供時代に、

すごく大事な経験だったと思います。

この後も、アゲハチョウの幼虫、

ザリガニ、カブトムシ、クワガタ、鈴虫、コオロギ、

金魚、ドジョウ、フナ、メダカ、

6歳から17歳まで一緒だった白文鳥、

OL時代に預かっていた超おしゃべりセキセイインコ、

 

その他諸々、私が育つ過程で、

さまざまな生き物とのお付き合いが続くのです。

 

…その果てに、最後にお仕事として、

ものすごく深くお付き合いをしているのが、

人間なのかもしれませんね(笑)

 

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最後まで読んでくださって、

ありがとうございます。

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