【大切なことはすべて、猫とお客様から教わった。】~母を背中に乗せてお守りをした、犬の次郎のこと。

江藤恭子です。

タイトルが猫なのに、犬の話かよ~という、

ツッコミはごもっともですが、

 

これは私の祖父母から聞いたお話し。

 

祖父母が飼っていた、犬のお話です。

 

前回の私のペット歴を書いていたら、

その世話を裏でしてくれていた、

母のことを思いました。

 

なぜ母はあんなに細やかに愛情を持って、

生き物や他人の世話ができたのだろうか?

 

その原点って何だろうか?

ついでに、なんで私もまた、
他人様の人生の世話焼きをしておるのだろうか?

 

その思い当たった原点の一つが、

犬の次郎なんです。

 

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母の、細やかな人への接し方や、

愛情のかけ方は、

祖父と祖母から受け継いだものだと思います。

 

食道楽の大阪で育ったグルメな祖父と、

京都生まれ京都育ちの、

世が世ならばお姫様だった祖母。

祖父は、早くに母親も姉たちも結核で亡くし、

継母で苦労したらしく、
 

結婚後、大変に家族思いで、

子煩悩な父親だったそうです。

 

時代は、産めよ増やせよの、

第二次世界大戦前~戦争中。

 

娘を既に2人もうけていた祖父母夫妻でしたが、

3人目がなかなか授からない。

 

祖母が晩年言いました。
 

「子供を二人くらいしか産めへん女は、あかんな」

と祖父に嫌味を言われた、と。
 

次は、ぜひ跡取りの息子が欲しい。
 

息子ならば「太郎」ではないか。

 

では、願掛けをしようではないか。

「太郎がやってくるように、次郎を連れてこよう。」

 

…ここら辺の考え方が、関西人的と言いますか、

昔の人のゲン担ぎといいますか。

 

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そうしてある日、祖父の職場の関係の人から、

生まれたての子犬が、

祖父の上着の胸に入れられて、

大事に貰われてきたそうです。

 

まだ離乳していない子犬を、

わざわざ探したのです。

そのように育てれば、飼い主に懐き、

きっといい犬になる、と。
 

それを哺乳瓶で育てて、

まるで子供のように育てたのだそうです。

 

それはもう、懐かないわけありません。

次郎は大変に賢い犬として育ったそうです。

 

やがて待望の3人目を祖母が妊娠しますが、

実は心臓のあまり良くなかった祖母。

(92歳まで生きましたが)

 

戦局がどんどん悪くなり、

食糧事情も悪くなり、

配給が当たり前になっていた時代、

出産が可能かどうか、医師も迷ったそうです。

 

「母体の為に、毎日必ず牛乳を、

奥さんに飲ませてください」

 

祖父は極秘で召集令状が届き、

秘密裏に出兵するまで、

 

毎日、いったいどこで貴重だった牛乳を、

用立ててきたのか「?」だそうですが、
 

祖母と、「太郎だ」と期待をかける赤ん坊の為に、

毎日牛乳や卵を持って帰ってきたのだそうです。

 

残念ながら、3人目の子供である母の出産時、

祖父は出兵していて、

祖母は2人の幼い娘を抱え、

不安な中、母を産んだのでした。

次郎は女しかいない家庭の中で、

凛々しく番犬をやっていたに違いありません。

 

3人目も娘で、残念ではありましたが、

生まれてきた母を二郎は背中に乗せて、

お守りをしたりしていたらしいです。

 

もちろん母にその記憶はないと言っていましたけれど、

赤ん坊の頃から、動物と触れあっていたことは、

母に大きな影響を与えたと私は思います。

 

二郎には、ご主人さま達の赤ん坊は、

自分が守るべき存在だったのだろうと思います。

 

人の言うことをよく理解する、

忠実な犬だったといいます。

 

面白いのは、すべての娘が、

犬好きではなかったこと。

 

母の上の娘、次女である、

つまり私にとっての叔母は、

どうやら、生まれつき、

あまり動物が好きではありません。

 

親の前では悪さをしないのですが、

親がいない時は、次郎にいたずらをしたりして、

イジメていたそうです。

 

犬の頭の良さを知っていたら、

そんなことはしなかったでしょう。

 

次郎も負けてはいません。

ご主人さま達がいない時、

叔母は散々二郎に追いかけまわされて、

逆襲をされていたそうです。

 

ま、負のスパイラルですね~。

叔母は更に犬嫌い、

動物嫌いになっていったのでしょう。

 

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やがて、祖父は戦地から帰宅をするのですが、

思いもよらない悲劇が一家を襲います。

 

当時、殆どの家で、犬に綱を付けることも無く、

繋ぐことも無く、放し飼いのような状態が多かった、

と祖父母たちは言っていました。

 

次郎はたぶん、自由に自宅付近を

歩き回っていたのでしょう。

 

でも当時は野良犬も多く、狂犬病もありました。

 

戦争中ということで、犬猫を処分することを、

確か国も推奨していたと聞きます。

 

野良犬と間違われたのか、

国の意向だったのかはわかりませんが…

 

当時で言うところの「犬取り」、

保健所から職員がやって来て、

次郎も捕まり、

 

私はこの話を始めて聞いた時、

血の気が引いたのですが、

 

当時は捕まえたその場で、

縄で首をくくり、

つるし上げて窒息死させていた…

 

そうして、そのままその場に、

見せしめのように放置して去っていたそうです。

 

ご近所の人から、

 

「おたくの犬が吊し上げられている」と聞き、

駆けつけた祖父母たちが、いったいどんな気持ちで、

変わり果てた次郎を見たのだろう…と思います。

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その後、祖父母たちは金魚以上の動物は、

亡くなるまで、一切飼いませんでした。

優しい祖父母には、

次郎のことが耐えられなかったのでしょう。

 

次郎は犬ではなく、家族だったのですから。

 

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ちなみに、祖父母夫婦には、

遂に「太郎」は生まれることはありませんでしたが、

 

初孫から4人目の、私が生まれるまで、

男の子の孫ばかりが続きました。

特に祖父は喜んだそうですが、

4人目に遂に私が生まれた時、

それはもう喜び、

実際に本当に私は祖父が亡くなるまで、

可愛がられました。

 

何のことは無い、

祖父は大変に母を愛しており、

その母の産んだ娘だから、

私は母に全く似ていないにもかかわらず、

そのお蔭で物凄く可愛がられたのです。

 

「思い込み」ですね(笑)
 

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犬猫の殺処分は、戦後70年経っても、
相変わらず行われています。

 

次郎が殺された時代と、

いまはぜんぜん違うのにも関わらず。

 

犬や猫が迷子になり、

保健所に保護されても、

殺処分されない国になるように、

と、私は思っています。

 

犬猫を始め、生き物たちが好きなのは、

家系の血なのだなぁ、と、

これを書いていて実感です。

 

私の母は、戦後、京都市内で大きくなり、

やがて「ヒヨコの悲劇」を経験します。

 

…母の実家の動物ってもしかして…(汗)

いや、金魚は超長寿なんですが…。

(20年以上、いや30年以上生きていたような)

 

母の優しさの中には、

祖父母の優しさと、

犬の次郎の優しさも、

きっと入っていたのだと私は思います。

 

ありがとう、次郎。

 


 

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最後まで読んでくださって、
ありがとうございます。

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